コーチングのテーマ:国際結婚(後編)
こんにちは。パーソナルコーチの恩塚です。
プラハはようやく夏らしくなってきて、やっと半袖デビューです。すごく乾燥しています。贅沢かもしれないけれど、日本のあの蒸し暑い夏が恋しい今日この頃です。
今日は、前回の記事で、パムッカレ事件(と勝手に名付けている)とお伝えした件についてお話ししたいと思います。 (前編、中編をまだ読まれてない方は、そちらを先に見て頂くほうがわかりやすいと思います)
そろそろ気になる結婚のハナシ。
国際遠距離恋愛も1年半ほど続き、当時32歳だった私はそろそろ結婚の話を真剣にしたいと思っていました。 毎日ラインでメッセージを送りあい、週末はスカイプで話すというスタイルを継続してきていましたが、 やっぱり本当に大事な話は、会った時にしたいところ。
※出会った当初は、私が完全に彼のことをアウトオブ眼中でシャットアウトでしたが、彼がねばってくれたおかげでようやく視野に入り認識しました(気が付いてよかったよホント。。) ですが、この当時には形勢逆転で、私の方が完全にゴールを見据えてまっしぐら状態でしたw
ただ…
相手がどれほど自分との将来を真剣に考えているのか、私はいまいち掴み切れていませんでした。 というのも、結婚。とかの重いテーマになると、週末だけのとぎれとぎれのスカイプではやはり切り出せなかったんです。相手が隣にいないままそんなヘビーな話を切り出してしまって、もし嫌なムードにでもなってしまったら取り返しがつかないと思って怖かったんですね。
チャンス到来
そんなときに秋休みを使ってトルコに行こうという話になり、クロージングをかける(←必死w)チャンス到来。イスタンブールで待ち合わせして、2週間の旅が始まりました。 久しぶりの再会を楽しみつつ、あっという間に旅も中盤。ここまで二人の今後について話は一切でず、さすがの私も、はてこのまま旅は終わるんだろうか?と思ってそわそわし始めました。
そんなある日、パムッカレのホテルにチェックインした際、 夕食まで少し時間がありそうだったので、このタイミングでちょっと将来のこと話してみようかな、と勇気を振り絞って切り出しました。
私:ねぇ、、将来のこと、どう考えてる?結婚とか。このまま遠距離恋愛続けるのも大変だよね?
夫:うーん。今あんまり話したくない。レストランしまっちゃうから、ごはん食べにいこう!
私:は?
夫:え?
私の渾身の問いは、秒でスルーされましたww
光速すぎて見えなかったかもしれないのでもう一度お伝えすると、結婚の話をごはんでかき消されました。
この時私は、二人の間にありえないほどの温度差があることに初めて気がついてしまいました。(ちなみに、今となれば、夫の気持ちもわからなくはないです。そもそも、38歳(当時)まで独り身で自由を謳歌してきて、かつスーパーポジティブで、基本今を100%で楽しんでいる人。だからこそ、先々のことを計画的に考える癖もさしてないというタイプ。私のことはとても大切におもっていたけど、突然クロージングをかけられてびっくり仰天、腰が引けたそうです(後日取り調べ済み))
今だからこそ冷静に言えますが、あのときパムッカレの部屋で、彼が私の言葉をちゃんと受け止めてくれなかったとき、私は頭が真っ白になるくらいショックでした。
はるばるトルコまで来たのに。信じて国際遠距恋愛をここまで続けたのに。
この段階で将来のことを考えていないということは、私にとってそれはもう「終焉」を意味していました。こんなに好きな人と、こうやってすれ違って関係が終わることがあるんだと、心の底から悲しくなり、その後食べにいった夕食の味は一切覚えていません。
朝日を見ながら考えていたこと
その日は一睡もできませんでした。すやすやと眠る彼のことが理解できず、部屋から抜け出してバルコニーでずっと放心してたら、朝日が昇って人が動く気配がして…あんなに悲しい朝日は、あとにもさきにもコレだけです。
だんだんと動き始める世界の中で、色々なことを考えました。
旅はまだあと半分ある。
正直このテンションであと1週間も彼と一緒にいるのは精神的にかなり厳しいなと思いました。もういっそのこと帰国してしまおうか、とも思いました。または泣きわめいて再交渉することもできたと思います。
でも、私は「凛として過ごす」に決めました。
この話題にはもう触れずに、ただ残りの旅の期間を楽しんで、それで何も無いのであればそれはそれ。一人の女性として、先に進もうと。
なぜこのときそう思ったかというと、以前にコーチングのセッションで、私にとっての「理想の二人の関係」について言語化していた際、私は「どちらかが持たれかかるような関係ではなくて、自立した人間同士が共に前をみて、寄り添う感じが理想」で、そのために「私は相手にすがるのではなく、凛としていたい」と答えていたことを思い出したからです。
じわじわと心が固まるのを感じました。
そうそう、そうだった。私は凛としていたい。
パムッカレの白い岩と朝日をみながら、私はこのとき自分のスタンスを決めたのでした。
残りの旅期間で起こった不思議
その日の昼あたりから、激烈な胃痛に襲われるようになりました。昨晩の超ストレスフルな徹夜が胃に穴をあけようとしていました…。単にケバブとトルココーヒの暴飲暴食が原因なんじゃ
波がある胃痛に時折たちすくみながらも、残りの旅路をゆく私。なんか踏んだり蹴ったりですがw 旅自体は楽しかったです。もう、この人との将来が結婚という形で結ばれなくても、今こうして一緒にいられる時間を楽しもうと決めていました。
そんなある日、夕食を食べるために海沿いの軽食屋さんに入った際、彼が唐突に「チェコに来て一緒に暮らそう」と言いました。
は?
彼の突然変異に私の理解が全然ついていけず、心の中が猜疑心と驚きで混乱をきわめましたが、何かが彼の中で起こって「真剣に将来を考える」ステータスになった様子。旅の最終日までこのテンションは続き、私もようやくどうやら嘘ではないらしいと理解をしました。
こうして、帰国したあとは具体的に結婚や移住に向けたプランニングをするという結論とともに、トルコ旅行は無事終了。それぞれ日本とチェコに帰って行きました。
あの時何が起こっていたのか
なぜあの時彼が急に変化したのかは、私の中でずっと謎のままでした。結婚して数年が経った後、あの時何が起こっていたのかを聞いたことがあります。
曰く、
この人で間違いないという気持ちはあったけれど、私をチェコまで連れてきてしまって、もし私がチェコを好きになれなかったら、もし不幸にしてしまったらどうしようと思って決められなかった。だけど、私がいなくなりそうな気配を感じ、今決めないでどうすると腹を括った
らしい。
要するにあの時はビビっていたわけです。でも、逆の立場になって考えてみると気持ちはわからなくもない。相手を自分の母国に呼び寄せるということは、言葉の問題、文化の壁にパートナーがぶつかった時にフォローをずっとし続けるという覚悟が必要です。(国際結婚はこのフォローがどれだけあるかは本当に重要。)相手方に飛び込む私よりも、受け入れ側の彼のほうがよっぽど責任を感じますよね。
今でもたまに思います。
もしあの時、私が泣いて喚いて、結婚をすがっていたら。もしあの時、キレて日本に帰国していたら。おそらく、今の私と彼の関係はなかったと思います。本当に辛かったけれど、相手に何かを求めるのではなく、自分はどうありたいのか、に注力してよかったと、心から思います。
これで国際結婚編は終了です。私のプライベートをさらけ出しまくりな記事で、私としてはちょっと勇気がいる記事でしたw
コーチングで言語化したことは、私に起こったように、時を超えてふとした時に役立つことがあります。私がパムッカレで朝日をみながら決めたことは、コーチングの要とも言える「私はどうありたいのか」です。毎日は選択の連続ですよね。迷った時、思い出してみてください。皆さんは「どうありたい」のかということを…