鬼滅をガマンし続ける女
鬼滅の刃の最終巻が発売されました。完結!なのですね。友人のFBで頻繁に見かけるだけでなく、もはや私の両親までもが映画館に足を運ぼうとしている事実からも、鬼滅の勢いはプラハまで十分伝わってきます。キャラクターやストーリーがもはや世界の共通言語になっているようにも感じます。
そんな中、漫画の第一巻も読めていない人がいます。私です。ヨーロッパにいて日本のアニメや漫画が手に入りにくい?いえいえ、KindleやAmazon Primeでやろうと思えば何でもできます。私はあえて、ガマンをしているのです。
今日はなぜ私がこの一見ムダとも思えるガマンをし続けているのかを、コーチングの視点に絡めて(最近もはやどんなネタでも絡めます)お話ししたいと思います。
なぜ今、読まない。
表向きな理由としては、「絶対に漫画は紙で読みたいから」です。日本で大人買いして全巻買って、えんやこらプラハまで運んできたいのです。
我が家の本棚は、向かって左が夫ゾーン、右が私ゾーンなのですが、この私の本棚を漫画でいっぱいにして、そして一巻一巻いそいそと取り出して読むことを夢見ています。
スペースには限りがある上ここまで持ってくるのは簡単ではないので、本棚には自然と厳選された顔ぶれだけが並ぶことになります。今はここに、スラムダンク、セーラームーン、すごいよマサルさん、初めて恋をした日に読む話が並んでいます。ここに鬼滅を仲間入りさせるまでは、絶対に読めない&読まないのです。
私は決して紙媒体愛好者なわけではありません。ビジネス書や小説はすべてKindleです。漫画だけそこにこだわるにはもう一つ奥の理由があります。
漫画家になりたかった過去、親友との思い出、そして息子との未来
実は私、小学校のときは真剣に漫画家になることを目指していました。なかよし・りぼんを読みあさり、毎日漫画を書いてクラスメイトに読んでもらっていました。美しい絵を描くための絶対的な参考書が、武内直子先生のセーラームーンでした。あまりにも美しい画法に惚れて、原画集まで買いました。
スラムダンクは、もはや言わずと知れた名作であることはもちろんですが、私にとっては弟との思い出でもあります。スラダンを読むと、弟と単行本をシェアしていたことや、スラムダンクのテレビゲームを一緒に戦ったり、当時放映されていたアニメソングを熱唱した記憶がいつも蘇ります。
すごいよマサルさんは、大親友との出会いを作ってくれました。中学校の時に流行ったこの本をきっかけに、ボスケテやメソ、オクレ兄さん!といった合言葉を自由自在に使いながら友人と独自の世界観をエンジョイしていました。(もうここらへんはわかっていただける方だけで大丈夫です…)
はじ恋は、プラハで仕事がしんどかった時に、このドラマを見て癒されていた思い出があります。アラサー女子が突如モテ期に突入するという非現実的なストーリーにうっとりできた感覚が忘れられず、漫画を購入するに至りましたw
そして将来チェコ語が第一言語になるであろう息子が、私の思い出と共にあるこれらの漫画を手に取り、日本語の読み書きを学んでいる姿までが見えています。
お分かりいただけたでしょうか。
私にとって漫画は、「思い出へのアクセス」なのです。だから、私にとっては漫画を手に取って読むという行為よりも、それらが毎日目にする本棚にずらっと並んでいることが大切なのです。それを見るだけで心がスッとするというか、嬉しくなるというか。本棚の右側は私のときめきゾーンなのです。
コーチングでいう「響き」
この心がスッとする感じや、ウキウキする感じ、たまらなく嬉しい感じ。それが、コーチングでいう「響き」です。話しているだけで冗舌になり、表情が自然と明るくなってしまうようなこと。きっと皆さんにもありますよね。
コーチングではこの「響き」や「響いている状態」をとても大切にしています。なぜなら、そこに私たちの価値観があるからです。
先ほどの私の例でいうならば、なぜこのご時世において鬼滅を読まないとこの女は頑なに決めているのか?そこが響きの入り口を見つけるヒントです。その人ならではのこだわりの奥には、大抵大切な価値観が隠れています。私がこのエピソードの奥に持っている価値観は、「思い出を大切な人とシェアすること」です。
そしてもう一つの価値観は、「美しいものに囲まれて生きること」です。“美しい” の私なりの定義は、「温かみがあり味わい深く、年月がたつほど魅力が増すもの」です。なので、私は漫画以外にも、自分の生活で目に入るところに置くものにはこだわりがあります。
高級なものでなくてもいい。ただ、自分が美しいと認めたものだけに囲まれる生活がしたい。そこには、確実に私ならではの「響き」があり、逆にそれができていないと響きは不協和音に変わり、いやぁぁぁぁな気分になります。多分鬼滅をKindleで買ってしまったら、それもまた違った嫌な感じになるのだと思います。
「響き」には色々な質感がある
そしてもう一つ大切なことが、この響きは特定の一つのことだけでなく、生活の色々なシーンで現れるものだということ。そしてその響きの質感は事柄によって全然違うということです。
また私の例で恐縮ですが、私は息子の寝顔を見ながら昼寝を一緒にすることにも「響き」を感じています。先ほどの漫画の例が「心がスッとする感じ」だとするならば、息子とともにする昼寝には「胸の中からじんわりあふれ出る暖かい感じ」。また、コーチングを仲間とともに学んだり、ロンドンに語学留学をしていた頃は全く別の響きかたをしていました。それはまるで「自由の翼を手にいれたかのような感じ」でふわっと体が軽くなるような響きです。
そしてもう一つ重要なのは、「響き」は決して嬉しいときだけに起こるものではないということです。例えば、夢に向かって悪戦苦闘しているとき。毎日辛い思いをして踏ん張っていたとしても、そこには響きがあります。大好きな人の死を悼んで泣いているとき。悲しみの中にもまた響きがあるのです。
もし自分の人生が、こうした様々な質感の「響いた状態」で毎日満たされていたとしたら、どうですか?そんな風に、今を生きている実感や、充実感を感じながら毎日を過ごせたら、最高ですよね。
コーチングの主戦場
誰もが響いた状態で生きていきたいと願っています。でも、現実は色々な要素が絡んでいて一筋縄ではいきません。お金、周囲の目、キャリア、両親の意見、パートナーの存在、自信のなさ、そして勇気のなさ。でも、その場所にい続けたら「響いていない」のは自分が一番わかってる。だからコーチングを受けたいと言ってきてくださっているのだと思っています。
だからこそコーチングの主戦場はここになります。クライアントさんが心から願って止まない、響いた世界とは何なのかを思いっきり探究しにいきます。そして、それが絵に描いた餅にならないように、今、まさにこの瞬間から、何をしていくのかを決めて、行動していきます。
実際に行動に移してみると、様々な摩擦が生じます。もしかしたら、そんな響く世界を知らない方がよかったと思うほどの逆風が吹きます。これまで安定していた人間関係に歪みが生じて、もしかしたら大変なことになります。私もコーチングに出会ってから、自分が思い描く人生を叶えるための「響く」選択を何度かしてきましたが、正直コーチングなんかに出会わなければこんな苦労しなかったろうに…涙 と思う時もありました(もちろん、今は行動してよかったと心から思います)
こんまりメソッドとコーチング
年末に向けて大掃除や断捨離をされる方も多いと思うので、このお話をして締めたいとおもいます。
こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」メソッドは、実はコーチングのこの響きと共通している点があります。
彼女は「ときめき」をその物の中に感じるかどうかで判断し、ばんばん断捨離をしていくわけですが、まさにこの「ときめき」はコーチングの「響き」と同じ。
彼女は単なる片づけをしているのではありません。ときめきを入り口に、片づけを提供することで、その家庭に住む人々の人生を変えていきます。
そして私たちコーチは、響きを入り口に、コーチングを提供することで、クライアントさんの人生そのものに関わっていくのです。
この響きやときめきは非常に実態の掴みにくいものですが、確実に存在しています。AIではない人間だからこそ感じられる、人間が生きていく上で欠かせないものです。
2020年もあと数日。この数日間、ぜひ自分自身を振り返る意味でも、皆さんの持っている響きに敏感になってみてはいかがでしょうか?自分は本当は何を大切にしているのか?そしてその響きをより響かせるためには、何ができそうか?
その行動は、2021年の年明けを待つ必要はありません。まさに、今から。何をしていきましょうか?