心が喜ぶ生き方
やりたいことと、やるべきこと。皆さんの時間は日々、このどちらに使われていますか。 たとえ体が疲れても、心は潤うようなことを、やれていますか。 今日はそんなお話を書いていこうと思います。
9月に入ってから、私は会社に行かない生活をしています。こうして日本に頻繁に帰国してコーチングの学び直しが可能なのもこのため。会社を辞めたわけでも産休でもないのですが、長期のお休み(給料つき)、というとても特殊なステータスです。←大人の事情
この状況をお伝えすると、多くの方に「給料ありで休めるなんて最高じゃん」と口を揃えて言っていただくのですが、当初は私の心は晴れませんでした。なぜなら、心底自分のこの先の精神状態が心配だったから。働かない自分。家に1日いる自分。突然サラリーマンという仕組みから放り出された私、大丈夫か…?と。
休みに入る前の私
毎日朝同じ時間に起きて行くところがある。 単純にそれが私のチェコライフのリズムを作り出していました。移住したばかりの頃学校が始まるまで1週間ほど間があったのですが、毎日何も生み出していない日々に本気で発狂しそうになりました。
新天地での生活の基盤を築くためには、生活のリズムの構築は一番に取り組むべき課題でした。だからこそ就職が決まった時は嬉しかったし、ほっとしたのを覚えています。
仕事をすれば、収入がある。私は自分で稼いで好きなものを好きな時に買える自分でありたいと強く願っているタイプで、そういう意味でこの地で経済的自立を果たしているという事実が私に与えてくれている自信は大きかった。 また、日本から遠く離れた地でも私を必要としてくれている人が待っていると思えることは、精神安定上でも価値のあることでした。
突然の休み確定
急転直下の展開で9月から会社に行かなくていいということが確定した際、真っ先に私の脳裏によぎった言葉は、「私これから何しよう」でした。
これから朝から晩まで時間がある。突如生まれた膨大な時間を前に立ちすくむような感覚。
一番怖かったのは、移住当初に感じた「今日も何もしないで終わってしまった」という虚無感。この先のライフプランニングは自分の中の重大テーマとしてコーチとのセッションでも取り扱い、 チャレンジとして「9月からやることリスト」を100個書き出すという約束をコーチとしました。結局最後には75個くらいまでになりました。
75個のリストの行方
そして1ヶ月がたった今、書き出した75個のリストのうち早々に実行したものは10%くらいでしょうか。
では、残りの90%は? それらが実行されていくことは正直もうないと思います。
当時はやる気に満ち溢れながら書き出した75個のリストが、今形骸化しているのには理由があります。
やりたいことと、やるべきこと
私が書き出した75個のリストは、私の修行好き脳が叩きだした、見事なまでの「やるべきこと」でした。
例えば、
チェコ語の勉強をする/本を沢山読む/部屋の整理整頓をする/チェコ料理のレパートリーを増やす など。
こうして並べてみるとどれもやれば自身にメリットのあることばかりで、時間があるならやればいいのにと思われるかもしれません。でもこれは、私の頭が弾き出した「時間があるんなら」「やったほうがいい」こと。つまりそれは私が、やるべきかな、と思ったこと達であり、心からやりたいとエネルギーが湧いてくることではないのです。
9月に入ったばかりの頃は、書き出したこのリストを手帳のバーチカルの時間軸に当てはめていき、1日の時間が無駄なくみっちり埋まるようにしていました。何人かの友人に「キモい」といわれました。(休息をとる時間すら手帳にスケジュールを確保したりしていて、確かに今思うとちょっとキモい。)とにかく「何となく流されて1日が終わる」という事態だけは避けようとしていたのです。
皆さんの中にも多少はありませんか?
予定がびっしり埋まっていることで、そこはかとなく生まれる安心感や満足感。
最初の1週間この生活をしてみて、タスクを次々に消していく快感は確かにありました。淡々とこなしていく感覚。でも、生活は常にグレー色でした。なんか疲れる。心が全然、喜んでない。全然うきうきしない。
やるべきことで固めてきた人生
ここまできて初めて気がつきました。私のこれまでの人生は、自分の時間をとにかく「やるべきこと」で埋めてきたんだと。
このスタイルにハマっていった最初のきっかけはわかりません。小学校の時はこういう感じではなかったはず。ひたすら漫画を読み、描き(マンガ家になりたかった)、遊んでたし。変化があったのなら、もしかしたら受験勉強からかな…?受験に関してはやるべきことは次から次に湧いてくるので、必然的に私の高校時代は埋まっていったのかな。次は大学生活。これも、一度部活に入ると、日々の授業に加えて、自身の役割と仕事があり、スケジュールがどんどん埋まっていく。会社に入れば言わずもがな。
誤解なきように念を押すと、どの時代も充実感や達成感に溢れており、やってよかったと思うことばかり。そこに後悔はありません。
ただ今回ここで強調したいのは、私はこうした仕組みに、人生のとある時点から常に上手に乗っかって生きてきたため、 「自分が本当にやりたいと願うこと」をベースに生活設計をする脳みそをずーっと使ってこなかった、ということなのです。 そういう生き方のトレーニングをずっとサボってきたんです。
だから今回、突如仕組みからはずれて急に時間ができたとき、最初はやるべきことで必死に時間を埋めようとした。でももうそこに私が所属する仕組みはなく、心の中から湧き上がる欲望も伴わないので息切れした。
そこでようやくこれまでの自分の生き方のくせに気がついた。というわけです。
君は今更アホ なの?という感じですが、36歳にして、心の欲求にガチで素直に生きるってどうやるんだっけ…?と思い始めました。
今まで使わなかった脳みそのリハビリ
まずは手帳にスケジュールをびっしり埋め込むのをやめ、記入する順番を逆にしました。つまり、計画ではなく心がやりたいままに活動したら何が手元に残るんだろう?ということです。
ベッドメイキングをする
お花の水を毎日変える
生ゴミを定期的にすてる
人との会話を心から楽しむ
日光浴をしながら散歩する
季節の花を観賞する
バランスのよい食事をする
眠たい時はさからわずに寝る
肩が凝ってきたら休憩する
ライフワークを本業にする
・・・
手帳に残ったことを振り返ってみると実に些細なことで笑ってしまうのですが、私はこれまでこうした些細な「丁寧に生きること=人間らしく生きること 」をないがしろにしてきたよねぇ…と、しみじみ反省しています。
私は今これまでとは違う人生の楽しみ方を再発見し始めていて、心からワクワクしています。
そして、心がワクワクすることの最主軸になっているのが、コーチングというライフワークを自分の天職としてじっくり磨き上げ、鍛錬していくこと。
今コーチングが注目されている理由
なんでも選べる・できる時代になったからだと思っています。
私みたいに突然放り出されることはなくとも、「人生の限られた時間をどう使っていくか」に関してかなり個人の裁量で決められるようになった。副業はOKになり、ワークスタイルも自由に選べる。子供を産んでも産まなくてもいいし、性別だって自由。住む国も選べる。作業は機械に任せられる。
人間は本当にやりたいことのみに集中できて、自分だけのオーダーメイドの人生を作っていいですよというGoサインが出ているからこそ、迷う。私が今回ちょっとつまづいたみたいに、「え…っと。。私の心が弾むことってなんだったっけ。」「どうやってこの先決めてこうかな…?」って思う人が増えていると感じます。
コーチは専門的に訓練された最強の壁打ち相手
そういう背景からか最近コーチングのお問い合わせが増え、コーチ業に興味を持ってくださる方に「コーチって何するんですか」と聞かれる機会も増えました。私はいつも「コーチは、クライアントのためだけに存在する、専門的に訓練された最強の壁打ち相手です」と伝えています。(より詳しい説明はHPに記載しているのでよかったらご一読ください)
同じ千本ノックでも、長嶋茂雄さんにしてもらうのと近所のお兄ちゃんにしてもらうのとでは成果が違うはず。コーチングのコーチは野球はできませんが、人生設計という領域で力を発揮します。
もし何か心につっかかることがあるのなら、うまく活用してみてはいかがでしょうか。コーチは人に向き合うスタンスを徹底的に学び、本音を引き出す様々なアプローチを身につけ、前に進もうとするあなたを鼓舞し続ける、そんなエネルギーを持った人たちだと思いますよ!
(参考)
以前、株式会社エクサウィザーズ代表取締役社長の石山さんが書いた記事がとても参考になるので、リンクを貼らせていただきます。