Follow your Heart の世界
Follow Your Heart. 心のままに生きよう。
これは私の大好きな言葉です。
実はこれ、私が新卒で入社したリクルートが当時コーポレートメッセージとして掲げていたもの。
このメッセージはもうCM等で見かけることはありませんが、私の中では今も大切に生き続けている言葉です。
なぜなら、Follow your Heartはまさに!コーチングが真正面から向き合おうとしている事だから。
コーチングのコアコンピタンスといっても過言ではないと思っています。
Follow の難易度
このメッセージには二つの段階があります。一つはFollow。心のままに生きる、の “生きる” の部分。
心のままに生きるって言ったって。。それは本当に、言うは易し、行うは難し。
コーチングでは、何かを実行しようとするときに必ず私たちの前にたちはだかる「現状に引き止めようとする声」のことをサボタージュと呼びます。
今はお金がない、忙しくて時間が作れない、本当にそれで大丈夫なの?、 もうすぐ子供が生まれるというのに…、 将来の保証はないし…、 奥さんはなんていうかな…、 俺、本当にできるかな、 自分のキャリアがどこまで通じるんだろう…
これらは全て私たちの心の中に住みついたサボタージュ。
その決断が大きなものであればあるほど、サボタージュの声も大きくなる。
残念ながらこのサボ君を抹殺することは不可能で、人間が人間である以上、ずーっと一緒に同居していく存在だと私は思っています。
だからこそ、コーチングでクライアントさんと一緒に学んでいくのは、このサボ君と「
どう折り合いをつけていくのか」、そしてコーチングの時間外でもサボ君をご自身で扱えるようになるということです。
Heartの難易度
Followもなかなかの難易度ながら、私は実は一番取り扱いが難しいのはHeartの方だと思っています。
自分の心が「本当に」何を欲しているのか
自分は「本当は」何をしたいのか
どれだけの人がシャープにわかっているんだろう?
かくいう私の場合
Heartを見失って迷路の中をぐるぐるしていた時期は山ほどあります。今は自分も定期的にコーチングを受けているので軌道修正がだいぶ早くなりましたが、20代にはドツボにはまった長い暗黒期がありました。
暗黒の3年
忘れられないのは27歳〜29歳あたりの3年間。当時、営業部署で九州エリアを担当する7人のチームのリーダーをしていました。自身も九州全域のクライアント様を担当しながら、メンバー育成も行い、原稿の入稿もするという立場で、月刊誌ゆえの毎月の原稿締め切りに常に追われ、 始発出社、タクシー帰りはざら、土日も働いていました。
それでも、仕事は楽しかったです。メンバーと夜遅くに食べに行くサク飯も、仕事がパッツパツなのになぜか超真剣に取り組んでいた出し物の準備も、クライアント様との切った張ったのやりとりも。全部が今の私を作る上では欠かせない思い出であることは間違いない。
だがしかし。
アラサー女子の人生設計というのは仕事だけでは収まらないものでして。
私の頭には常にこういった問いが渦巻いていました。
このまま今の仕事に全力投球してキャリアアップを目指すのか?
恋愛活動が皆無すぎるけど私の将来は大丈夫か?
将来のパートナーとの出会いを探しにいくべきではないか?
いやいや、手に職をつけるために何か学ぼうか?
自分にとってはどの問いも重要すぎて、優先順位がつけられない。だから手当たり次第やった。その結果、貴重な休みを使って私がやったことといえば、
- 覇気のない合コン
- ネイルアーティストの資格取得
- コピーライター養成講座
- 疲れた体に鞭打ってヨガ教室
- 家で死人のように眠る(起きたら17時だったときはさすがに引いた)
- 家で廃人のように何かをググる(ふと我に返ったときの悲しさ)
当時の自分に言ってやりたい。
もっと他にやり方あったろう!!w
仮に一時期でもネイルアーティストの資格保持者であった私の手は、今現在もれなく自爪オンリー(なんなら絶賛さかむけ中。痛い。)
あの特殊な世界を経験したことは人生の糧に間違いなくなっているけれど、今の私の手には100%活かされていないようである。
今だからこそちょっと笑えるけど、当時の写真を見返すと今よりも7kg以上痩せていた体はガリガリ、目はつり上がってキツい表情をした写真ばかり。本当に、必死だったんでしょうね。
佐島での研修
そんな感じで3年を過ごした頃、会社の研修で佐島マリーナという研修施設に数日間こもって、思い切り自己探求の旅にでるという非常に興味深い研修がありました。
コーチングとは異なるアプローチでしたが、人生で初めて深く深く潜って自分の本当の欲求を探した経験。
研修の後半ではその欲求をベースにこれから先のストーリーを詳細に描くという内容でした。
ストーリーを書き始めた時に私の頭に真っ先に浮かんだイメージは、どこか海外の白い部屋の窓から、自然を眺めているような光景でした。
カーテンが風で揺れて、暖かい陽がさしていて。
正直、自分でも驚きました。なぜそのようなイメージが浮かんだのかわからなかった。
ただその時、ひとつ思い出したことがあります。
ずっと蓋をしてきた自分の本当の気持ち。「今は無理」だとずっと心の奥底に追いやって、なんなら忘れてしまっていた大切な気持ち。
「海外にいきたい」
私の母はメキシコで大学院を出てスペイン語の通訳をしていた人。父親は鉄鋼関連の企業に勤めていて、そのプロジェクトでスペインにミッションを連れて行った際に、企業専属の通訳としてついたのが母。
そんな出会いをした二人に育てられた私は、小さなころからスペイン語の電話を受けたり、海外の人が家に遊びにきたりする家だった。
両親が面白そうに当時の思い出を語っている姿を見るたびに、「へぇ〜なんか私が知らない世界があるのかぁ〜」ってワクワクしてた。
だけれど、大学では体育会で4年間やりきると決めたし、入社した企業で思い切り仕事に没頭すると決めた中で、いつしか「留学する」なんて選択肢を持とうとすら思わなくなり、昔のささやかな憧れや興味は自然と心の奥底に追いやられていきました。
そしていつか私は、そこにひっそりと蓋を閉めた。
欲求を解放した日
研修で見つけたのは、その蓋の中に閉じ込められた根源的な欲求だったのかもしれません。
研修後、すぐに会社に1ヶ月の休み申請を出し、留学エージェントと調整してニューヨークに行くことにしました。
なぜニューヨークだったか?
理由はありません。なんとなくです。とりあえずです。とりあえず真ん中いっとこ!!です。(←勢いw)
先述のように、当時の私の立場はチームリーダーであり、かつ原稿入稿は毎月あるわけで、1ヶ月不在にするなどということは前代未聞でした。かなりの迷惑を多方面にかけたと思います。
それでも。全てを差し置いても、あの時の私は、あの時に行く必要があったんだと思います。
ニューヨークの風
飛び出した先で感じたニューヨークの空気は、今でも忘れません。
英語は当時全くできなかったけれど、会社の肩書きも学歴も何もかもが切り離された世界で、一人の人間として街を歩き人々と交わる中で、羽が生えたような自由を感じました。
この感覚はなんなんだろう、とずっと考えていたのを今でも覚えています。
なんだかよくわからないけれど、すごく大切な、絶対に忘れてはいけないことを感じている気がする。
この経験を次に繋ぎ止めたくて、あれこれ模索している中で出会ったのがコーチングでした。それ以降の私の人生の変容は以前の記事に書いたとおり。
3年もかかってしまったけど、あの時思い切ってNYに行って本当に良かったと思っています。そして一方で、コーチングにあともう少し早く出会っていれば、気づくまで3年もかからなかったかもしれないな、とも思います。
Follow your Heartの世界
Heartは知らないうちに見失ってしまう、そして自分でもその存在をなかったことにしてしまうことすらある。そんな実例として私の経験を書いてきました。
HeartとFollowの両方が揃った時に「心のままに生きる」は本当に実現するんだと思っています。
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