海外生活のおしえ〜ライフスタイル編〜

前回の空の旅編に続き、これまでの生活であった出来事をベースに私が個人的に学んだことをシェアするシリーズです。今回はライフスタイル編。あくまでも個人の経験談としてお楽しみいただければ幸いです。

Case 1. 豚の血をすする食育

生活にまつわる思い出深い出来事の中でもトップに輝くのはZabijačkaという、豚を丸一頭食べる祭りです。(英語に訳すとPig slaughterとでる。恐ろしい名前や…)

チェコ人は超がつくほど肉食で、肉料理がとにかく豊富。もちろん最近の流れでベジタリアンやヴィーガンもいますが、まだまだ少数派といえます。

我が夫、ティーンの頃にロンドンに留学していたのですが、そこでベジタリアンなるものを知り、完全に感化されてチェコに帰国。早速おばあちゃんに本件を報告。

若き日の夫:「おばあちゃん、僕ベジタリアンになりたい」

おばあちゃん:「あぁ?おめーなにボケたこといってんだ」

若き日の夫:「押忍」

というやりとりをして以来、肉も野菜もなんでも食べる子供になったらしいです。ハードコア肉食国民。

その象徴とも思える祭りが冒頭で触れた豚まつり。田舎の方にいくと今でも食用の家畜を各家庭で飼っていたりします。にわとり、うさぎ、豚など。うさぎは日本人の私にはかなり衝撃でしたが、チェコでは優良なタンパク質。。実際鶏肉みたいでおいしい。そんな中でも豚まつりは特別で、シーズンになると親族があつまって豚一頭を殺しお肉をいただく一大イベントなのです。

初めてこのしきたりを知った時は「なんて残酷なことを!!」と思いました。私はお肉は大好きですが、実際に自分の目の前で動物が殺され、肉の塊となり、人の体に食べ物として吸収されていくところを想像したことなどありませんでした。

豚は小屋から出された瞬間に自分が今日殺されることを悟り、そしてまさに命をかけて人間に抵抗します。それを人間たちが数人がかり思い切り取り押さえて、頭をピストルで一撃。その後、血を抜き、特別な処置がほどこされていきます。(免許を持つプロのお肉屋さんしかやることを許されません)

豚が必死に抵抗する姿。正直見てられない。田舎育ちのチェコ人はこれを子供の時から見るわけです。これは、子供の前でやることなのか?

そして更なる衝撃が、祭りの最高の一品「豚の血のスープ」。鍋の中には赤黒いスープ。さきほど殺された豚から抜いた血…。そこにニンニクやハーブを沢山入れていただきます。

日本人として嫁いだ私のモットーは、郷に入らば郷に従え。田舎の町にはアジア人なんぞ皆無ですから、気持ちはもう日本代表。こうなったらやるしかない!と飲んでみたところ、臭みはなく案外大丈夫!

とはいえ、やはりこれが血であることを思い出すとドギマギする気持ちは抑えられず、途中で夫に「なんで血を飲むのさ…」と弱音を漏らしたりもしました。

そのとき、夫に言われた言葉。

「命は何一つ無駄にしないんだよ。豚の脳みそも、血も、腸も、全部いただくんだ」

全部って、本当に骨以外全部?

うん。じゃないと豚がかわいそう。そんな会話をしました。

その会話のあと、この殺戮に対する見方が少し変わりました。

もしかしたら、これが食育ということなのか?と。

子供達に、動物の命を奪う瞬間から見せる。その命を食べることで私たちは生かしてもらっているのだと知る。命を奪ったからには何一つ無駄にしないこと。だからこそ、食べ物は残してはいけないんだという学び。

この経験をしたからといって、私はベジタリアンにはなりません。ですが、お肉をいただいている時、命をいただいているんだという実感は前よりもクリアに持てるようになりました。

ヨーロッパではフードロスを少なくするために、どのレストランでも食べきれなかった分は持ち帰ることができます。夕方になると余った分の料理を安く提供するレストランの告知ができるアプリがあったりもします(日本もあるのかな?)

久しぶりに日本に帰国して夕方の百貨店を歩いているとき。デパ地下に夜遅くでもまだ山のように並べられている食品たちを見て、「この命はきちんと食べてもらえるのだろうか」と心配になります。レストランで持ち帰りを希望して断られた時に、なぜ自己責任でそれが許されないのか?と憤るようになりました。

学び

動物を食べることがかわいそうなのではない。残酷さから目をそらさず、いただいた命に責任を持つこと。いただきます、って、ほんと命を頂くということなんだよね。

Case 2. それでも生活はまわる

チェコに来てから身についた生活習慣の一つに、お店にいく際には必ず開店・閉店時間を事前に確認する、というものがあります。

「まぁこの時間だし開いてるよね」と思って行くと、かなりの確率で閉まっていて悲しい気分になります。日本人からしてみたら稼ぎ時の土日。それであっても容赦無くお店は閉まっていたり、「ランチ中」という札が掲げられていてドアの前で待ちぼうけをくらうことも多々あります。冬だと寒すぎて超絶悲しい気分になります。

郵便局からの手紙を受け取り損ねた時は、危機感を感じます。最寄りの郵便局まで取りに行かなくてはなりません。大抵18時までしか開いていないので、仕事を17時に切り上げて直行、ギリギリセーフでピックアップできるくらいです。結構重要な書面だったりすると、本当に綱渡りです。

ビジネスでは、7月8月はプロジェクトはほぼ進展しません。取引先の重要人物にものすごい気合いの入ったメールを送っても、秒で「僕はこの先1ヶ月バケーションだよチャオ!」的な内容の自動返信が返ってきたりします。(文面はもちろん真面目ですが、私はそう受け取っているということですw)

一応代理の担当者の連絡先が自動返信についていることもありますが、もちろん引き継ぎは2mmくらいしかされていないので話が通じません。その時の絶望感といったら…。

そういう時は、「…重要人物の夏休みを把握していなかった私が悪いのである…!」と猛省するしかありません。そしてその悶絶期間を一通りやり過ごした後は、「ま、夏休みあけにもう一回連絡してみるか!」と心を入れ替えます。

そして自分が夏休みに入る際は、私もしっかり自動返信を設定し、しっかり3週間お休みをいただくのです。

何がいいたいのかというと、それでもヨーロッパは機能しているということです。

よく仕事を定時で切り上げられるかについてワークライフバランスの観点で議論されていますが、住んでみて実感したのは「定時で切り上げないと生活が回らない」から定時で切り上げるという、もっと切迫した観点です。郵便局に行けなかったら重要書類はがっつり返送され、本当に生活に困窮しますw

チェコに住み始めた当時は、コンビニがない、夜遅くまであいているレストランがない、再配達がない…。。ありえない!なんて不便なんだ!やばい中世の世界に来てしまった!(←ひどいw)と毎日憤慨していましたが、そのライフスタイルに慣れてしまえば何の事は無い。「この世界ではこうして生活がまわっていく」、シンプルにそれだけのことなのです。

先日コーチングの勉強のために日本に長期で帰国していた際、夜中まで輝き続ける東京のネオンを見ながら、日本は本当に何もかもが便利すぎるほど便利だと痛感しました。宿泊していた五反田のホテルの周辺には、毎日1軒ずつ回っても制覇するには半年くらいかかってしまいそうなほどの数の飲食店がならび、夜遅くまで働いてホテルに戻ってきても吉野家でほかほかの牛丼が買えてしまう。

これでは遅くまで「働けて」しまう。

本当ににわとり卵の世界です。

学び

不便さ、開き直り、諦め。マイナスにしか見えないこういったことが、生活に余裕や豊かさを与えてくれることもあるのだということ。

よく友人に、「チェコと日本、どっちの方がいい?」と聞かれることがあります。その質問に答えるのは非常に難しい。なぜならば、どちらの国にもいいところも悪いところもあるからです。「その国らしさ」とは、国の歴史、文化、言語、土地の風習、気候などのありとあらゆる条件が組み合わさって、長い時間かけて紡がれてきたものです。だからこそ、同じ軸で両国を比較することができず、いつも「どちらにも良いところがあるよ」とだけ回答しています。

チェコに移住して、自分が常に外国人として認識される環境(=雑踏に紛れることができないレアキャラ環境)に居続けることに疲れてしまうこともあります。

だけどそんな時は、私が100歳になったときの視点から今のこの期間を見つめてみます。私の人生という一冊の本を紡ぐ中で、この章が与えてくれる影響はいかほどか。

そんなことを想う今日この頃です。