海外生活の教え〜出産編〜
子供が生まれた衝撃はすごい。
台風がきたどころの威力ではない。隕石がある日突然落ちてきて、小さな宇宙人(言葉通じない)が舞い降り、地球の磁場が変わり、これまで積み上げてきた世界が一回ドンガラがっしゃんされる感じ。
2月末に出産してからの数ヶ月はとにかく、ガッシャンされた世界の中でなんとか破片をかき集めて、せめて雨風を凌げる場所を確保するのに必死でしたが、6月からはなんとか仕事を再開するまでになりました。
ということで、ひさしぶりにブログも更新。せっかくなので今回はチェコの出産事情について書いてみようと思います。
病院のご紹介
私が出産した病院はU apolináře というチェコの中でもとても由緒ある、誰もが知る大病院。建物はこんな感じ。
そこでの出産経験がある友人には、「あそこはまるで工場だ。ベルトコンベヤーに乗せられるように、次々に妊婦が到着しては出産していくのだ…」といっていましたが、確かに私が通院していた時も陣痛中と思われる妊婦さんたちがウロウロと廊下を歩かされておりました(私もその数ヶ月後に同じことをするわけですがw)
分娩室に通じるドアがたまに開くと、妊婦の叫び声が古い建物の中をエコーする…
夜一人で迷ったら泣いてしまう。
出産当日〜診察〜
出産当日、私の診察をしてくださったのは30代前半の若い男性の先生。名前をミロシュという。栗色の髪が美しい痩せ型のお方。一生懸命英語で話しかけてくれて好印象。
どうやら病院に到着した時にはかなりお産が進んでいたようで「出産まで遠くないですよ」と言われる。
そうやって言ってもらってからが長かった。ミロシュ先生はそれっきりいなくなり、部屋にぽつんと残される36歳・初産婦。ナースすらいない。機会音だけが響き渡っている。
こういう説明が雑な(というか、ない)のはチェコあるあるで慣れているものの、いかんせん心細い。
しばらく孤独に痛みと戦っていたところ、先生が不意に戻ってきた。開口一番、
「あなたの痛みの耐え方はすばらしいですね!!」
…なんか、すごい痛いの耐えてたら褒められた。36歳にして今そこを褒められるとは思っていなかった。
でもね、先生、私が欲しいのは的確な説明なんです。わかって。
分娩室へGO
この先生に一抹の不安を抱きながら、分娩室が空いたので移動することに。
部屋に入るとそこにはパーテーションで仕切られた空間。分娩室って、個室じゃないの?
パーテーションといっても妊婦同士を仕切る壁は天井までつながっていて、先生とナースはそのブースを行き来しながら同時進行で色々なお産を進めている様子。
かなしいかな、なんとなく自分が養鶏場のにわとりになった気分になってくる。工場というのはこういうことか…涙
バースウィッシュ
日本でもあるかもしれませんが、チェコでは出産に関する希望を事細かに書面で提出することができます。 病院は妊婦の希望に反することを許可なしに行うことができません。
私はそこに、子供の性別は言わないでほしい(生まれたときのサプライズにしていた)ことや、できるだけ自然な出産を希望すること、出産時の姿勢は自由にさせてほしいこと等々を書いていました。
どんどん痛みをます陣痛。夫との会話もままならなくなり、ただひたすら痛みに耐える時間がやってきます。忍耐強い私も、痛みの波を乗り越えるのに必死。
そんなときナースがやってきます。
「出産はどのような姿勢をお望みですか?」
えーと、どんな姿勢がそもそも存在するのでしょうか?
「横向きとか膝立ち、どっちがお好きですか?」
し…知らん!!どっちが楽なんですか!?
そしてミロシュもやってきます。
「本当に無痛分娩にしなくていいですか?変えるなら今です」
そんな気軽に選択変更できるんですか?今!?
「僕…痛がっている女性を見るのが辛いので…」
知るか!!っていうかミロシュ大丈夫か!?
バースウィッシュにあれこれと書いたばっかりに希望を色々と確認してもらえたものの 、そもそも初産なんだから希望も何もないということにお産の最中に気がついたアホな私。
クライマックス
お産も佳境にさしかかり、かなりの痛みが襲う。「できるだけ自然に産みたいです」などとぬかしていた数ヶ月前の自分を呪う。
ミロシュ先生はブース間をいったりきたりしていて近くにいないことも多く、ずっと付き添ってくれているナースだけが頼り。
ナースに「もう頭がみえますよ!」と励まされる。うん、頑張る。でも3歩進んでは2歩下がるような進捗。なかなか出てこない。
しまいには「うーん、まだまだかなぁ」などとナースが言っているのが聞こえる。いや…この痛みでしばらく待つのはもう無理です…
そうして意識が遠のきつつある中、ミロシュが戻ってきた。先生…助けて…!
そう言いかけたその時、ミロシュがひとこと
「ぼく、シフト終わったので帰ります。」
は??
「息子のお迎えがあるんですよね〜ハハハ ではでは〜」
は??
風のようにミロシュはいなくなりました。
お、、、、
お前というやつはーーーーーーーー!!!!
ものすごい力でました、最後。ミロシュへの怒りで。産む時ミロシュって叫んでたかもしれません。
そう、ここはヨーロッパ。徹底したワークライフバランス。
こんなとき、「この出産を終えるまで、僕が一緒にいます!」とか、
ないない。
産院プリズンブレイク
無事に出産を終えて、入院生活開始。
じつはお産よりもここからの数日の方が辛かった。
待った無しの赤ちゃんのお世話に極度の貧血(輸血するラインぎりぎりだった)、チェコ人2人との同室、情報は自分で取りにいかないと降りてこないチェコ文化、聞いたところで全てチェコ語でのレクチャー。一歩動けば激痛がはしる腰回り。
必死すぎて、当時の記憶があんまりない。
そんな中で衝撃的で今も忘れられないのが、食事。
食事の時間になると館内放送で、ナースの抑揚のない(やる気のない)声が響き渡る。
「ママさんたち〜〜 夕食の準備ができたから廊下にでてくださ〜い」
そう、食事は部屋ではとれない。廊下に並べられた簡易テーブルで食べ、食べるのが遅いと怒られるというスパルタである。
そしてメニューもなかなかパンチが効いている。
ある日のディナー:
パン
ハム
ヨーグルト
りんご
以上
大きなトレーにこれだけがぽつんと乗せられているのをみて、初日から気を失いそうになりました。
これでどう回復しろと。血…わたしは血がほしいのや…
こうなるともう早く退院したくて仕方がない。早くここから出なければ!
どうやったらここから出られるのか。どうやったら…!
と本当にプリズン、もとい、産院ブレイクしたい気持ちになり、必死に回復を目指しました。
どこの国でも
異国の地での出産の洗礼はあまりに衝撃的で、それでも負けじと悪戦苦闘していたものの、入院2日目の夜は赤ちゃんが何をどうやっても泣き止まないループに突入。追い込まれましたね、これは。それであっさり限界にきちゃったんですよね。
赤ちゃんをナースルームに一時的に預け、部屋にもどろうと誰もいない廊下を歩いていたら、もう何だかいたたまれなくなって涙が滝のように流れてきてしまったんです。
入院2日目の夜中の3時。廊下で爆泣き。
くぅ。情けない。自分の赤ちゃんが泣いてるのが聞こえるのに、こんな状態では何もできない。そう思うとさらに泣けてくる。なんで同室のチェコ人の赤ちゃんたちはぐっすり寝てるんだ。体が痛い。頭が働かない。チェコ語わかんねぇ。
そうしてしばらく泣いていたら、その様子に気がついた若いナースが近寄ってきて、私の肩を抱いて言いました。
どうしたの?
元気だして。
耳をすませてよく聞いてみて。他の赤ちゃんも泣いてるでしょう。
初めは戸惑ってあたりまえだよ。あなただけじゃないよ、大丈夫。
その日はナースに肩を抱かれながら気がすむまで泣いて、部屋に戻りました。
描いていた出産後のイメージとは全然ちがった入院生活。それでも青白い顔しながら一生懸命子育てするチェコ人のママたちをみて、どこの国でもママ1年目はだれだって必死なんだよな、と思いました。
海外で出産できてよかったと思うことは、国や文化、人種や言語が違えど母親業は全世界共通であることを目の当たりにできたこと。
今日も世界のママたちが喜びと苦労でもみくちゃにされながらこの地球のどこかで奮闘しているのかと思うと、なんだか元気がでます。全世界のママたちに尊敬の念を心から抱いた、そんな経験でした。