失恋とコーチング
みなさんは初めて失恋した日のことを覚えていますか? 私はよく覚えています。きっと皆さんもそうですよね。このテーマで話し始めたら一晩中お酒が飲めそうです。
今日は失恋とコーチングの共通点について書いてみます。
初めての失恋
23歳の春でした。
もちろん、それまでも告白して断られるなんて普通でしたが、どちらかというとそれは若かりし日の勢いみたいなもので。でも、23歳のそれは真剣でした。だから私は、これが人生初の失恋だと思っています。
23歳といえば入社2年目。仕事が楽しくてしかたがなかったです。当時は夜遅くまで働くことも多々あり、私より4つ年上の彼はよく車で銀座まで迎えにきてくれたのでした。
別れは突然に
ある日いつものように駐車場まで歩く道で手を繋ごうとしたら振り払われました。
その日も仕事が楽しくて帰り道もそのことで頭がいっぱいだった私は、それが意味することを想像することなどなく、なんか今日は機嫌でも悪いのかな?くらいにしか思いませんでした。
車の中で無言を貫き通す彼。
さすがの私も何かがおかしいと気がつきます。そしてその時は突然にやってくるのでした。
自宅の前に送り届けてくれた彼が運転席でぼそっと言いました。
別れよう。僕たち、合わないと思う。
一瞬、言われていることがわからずフリーズ。
やばい、何か言わなくちゃ。喉が急に乾いて口がパクパクなる。
かろうじて言えたセリフ。
…あ、合わないとか、まだ分からないじゃん?まだ半年しか付き合ってないんだよ、私たち。
それに対して彼からトドメの一撃。
「もう半年 ”も” 付き合ってるんだよ」
どどーん。
チャーラーラ〜♪
(読者のみなさまにおかれましてはここから先、お好きな失恋ソングをバックで流してください。)
車を降りる私。放心して涙すらでない。タイミングよく雨が降り始める。マジか。彼が躊躇なくエンジンをかけ去っていく。えーっと、鍵…かぎどこだっけ。雨が強くなる。カバンの中がぐちゃぐちゃで 見つからない。ようやくドアをあけて数歩、そこで力尽きた。床にへたり込んで当時住んでいた浦安のワンルームの白い床をしばらく見つめた。
涙がでた。とめどなく出た。床の上で、ずっと泣いた。
心を完全に開いていた相手から拒絶されるというのは
こんなにも辛いことなんだ
当時の私にとって人生で初めて経験するこの痛みは耐え難く、心臓がつぶれてしまうのではないかと思ったのを覚えています。まだまだ未熟な私はひとりでは耐え切れずに深夜に母親に電話をしました。
母からしてみたら夜中に起こされていい迷惑だったと思います。何を話したのか詳細は覚えていないのですが、そのときにかけてもらった言葉で今も大切にしているものがあります。
悲しみには無理に抗わなくていい
ただ身をゆだねて、落ちるだけ落ちればいい。
そしたらいつかフッと上がれる日がくるから。
そしたらこの失恋から生まれる時間で自分を磨きなさい。
翌日
ショックから熱がでていました。最悪だ…そしてそんな中でも仕事には行かねばならぬ。大人ってなんて大変なんだ。
へろへろになりながらも仕事をこなし、帰り道では彼との思い出の場所を通るたびに涙ぐみ、家に帰って泣き続けるというループを何度繰り返したでしょうか。
復活の兆し
ですが、時間が薬だというのはよく言ったもので。
本当に意外にも
その日は案外あっという間にきたのでした。
ある日の帰り道、ふと視線がほんの数ミリだけ上向いた日があったのです。
あー
もう十分泣いたわ〜
笑えるくらい泣いた〜
そう思った瞬間が確かにあった。
きっとこのタイミングが折り返し地点だったんだと思います。
その日以降、なんだかフツフツと前向きなエネルギーが湧いてきた記憶があります。この経験から何か人生の教訓を得ようとする元気さえ戻ってきたので、夜な夜なひとり反省会を開催したりしました。
(ちなみに、ひとり反省会の内容を書いたノートを職場の会議室に置き忘れ、当時の教育担当に読まれて爆笑され←ヒドいw、その後何度もイジられるという超絶イタい思い出があります)
私に何が起きたのか
ここまでのプロセスで私の中に起こったことをまとめるとこうなります。
フラれ、ショックを受け止めきれず最初は心も体も拒絶反応を示した。だけど、これでもかというほど悲しみにどっぷり浸り続けたことで、自分が人から拒絶されたという事実を徐々に受け止め、腹に落としていった。そしてある日を境にこの経験を糧にしはじめ、悲しみという感情(エネルギー)をプラスに転換しはじめた。
そんなところでしょうか。
実は今回私の失恋小話にここまでお付き合いいただいたのは、コーチングではこの「どっぷり浸る」というプロセスをとても大切にしているんだということをお伝えしたかったからです。いつも小話が長すぎ
コーチングと聞くと、なんとなく “前のめり” な時間という印象がありませんか?目標をたててそこに一直線に邁進!みたいな。でも違うんです。コーチングでは、”あえてその場に留まる”という機会も、前に進むことと同じくらい大切にしています。
ストイックで目標まで最短距離でダッシュしていきたいタイプの私は、何かを成し遂げたときや、逆に失敗や辛いことがあったときに、それらを一瞬にして過去のこととして置き去りにし、すぐに次の目標を掲げて走っていってしまう傾向があります。
そこに留まって成功をじっくり味わったり、失敗を感じ切ることを忘れてしまうんです。そこにたくさんの宝物があるにもかかわらず。
そう言う時よく、私はコーチに「ちょっと待て待て」と引き止められます。
皆さん、ちゃんと浸ってますか
これを読んでくれている皆さんはきっと、真面目で一生懸命で、人生をポジティブに前に進めていきたい方々なんだと思っています。
だからこそ、もしかすると、今自分が置かれている感情に「浸りきる」ということを忘れてしまっていたりしませんか。
例えば仕事で一大プロジェクトを完了させたとき。
完了させたという事実をきちんと味わいましたか
成功(または失敗)を存分に噛みしめましたか
やり遂げた自分を思い切りねぎらいましたか
周囲からの称賛を全力で受けとめましたか
もしそうでないならば、そのとき何から目をそらしていたのでしょう
例えば大切な誰かとの別れを経験したとき。
しっかり泣きましたか
次の計画なんか一旦全て手放して、思い切り悲しみに浸りましたか
もしそうでないならば、そのとき何に蓋をしたのでしょう
停滞という名の前進
ただでさえすごいスピードで物事が進んでいく世の中で、そこに留まることの方が今の時代実は難しいのかもしれませんね。
感情に浸るというのは、ともするとネガティブな文脈で語られることの方が多いような気がします。
でも浸るって、本当に停滞なんでしょうか?
それが喜びであれ悲しみであれ、感情は大きなエネルギー。しっかりとそれを味わいつくすことは、一見たんなる停滞に見えたとしても、その間に実はひっそりと私たちの中では大切なエンジンが組み立てられているんだと思っています。
その工程にしっかりと時間を与えて、時がきたらそのエンジンを使ってまた前進していけばいいんじゃないかなって、私は思います。
〜おまけ 失恋振り返り (当時のノートに書いていたこと)〜
仕事に不満を抱えていたであろう彼の前で自分の仕事の話をイキイキと語りまくる
→ 彼のことを全力で無視して、いかに今の仕事が楽しいかを雄弁に語るのはやめた方がいい
(それが許されない時点でこの方とのご縁はなかったのだと思いますが…)
彼が家にきたときに限って腐ったみかん on the table
→はい、ダメ、ゼッタイ。
みかんは冷蔵庫に入れなくてもイケる(何がw?)と思っていたんですけれどね。彼氏が家にきたときに限って、腐ってるんですよね。 ごめんなさい。
彼がディズニーシーの夜景をバックに「もし僕が転勤になったらどうする?」と質問した際に、「うーん、耐える!かな!」と笑顔で回答した
→はい、もうダメダメ、全然ダメ回答。
そこは「ついていきます❤」だったのでしょうね…
仕事楽しすぎ女子に、彼氏についていくという選択肢は存在しなかったわー…(遠い目)
おまけまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。報告は以上です。
皆さんの失恋小話もお待ちしています。