天敵 まゆこちゃん(仮名)に教わったこと
小学校3年生の時、まゆこちゃんという友達がいた。私の親友は近所に住む同い年のきょうこちゃん(仮名)でそこは揺るがなかったのだけれど、ある時からこのまゆこちゃんも一緒に3人で遊ぶようになっていた。
まゆこちゃんは私たちよりも学年は1つか2つ上だった。背が高く、手足が長い子で、3人で通うバレエ教室では目立っていた。まゆこちゃんもきょうこちゃんと同じく近所だったのだけれど、まゆこちゃんの家は煉瓦造りの洋館みたいな雰囲気で、見るからにお金持ちな建物だった。
まゆこちゃんの両親はいつもシュッとしている感じだった。恩塚家のガチャガチャ感はいっさいなさそうな家族だった。
私がある日、車の中で当時(自分的に)大ヒットだった子供用のカセットを無限リピートして、「コンピューターおばあちゃん」を熱唱していた際、最後のサビにさしかかるあたり(たしかイェーイ×2 ぼーくは大好きさ〜、あたり)で、母から「まゆこちゃんちはクラシックか英語の曲しか聞かないんだって!あんたもちょっとそういうの聞いたら!?」と諭され、「こんな名曲(コンピューターおばあちゃん)が聞けないなんてまゆこちゃんは可哀想」と幼いながらに思った。
こんなまゆこちゃんだったが、ある時から段々と、3人の関係性に亀裂を生む存在となり始める。
ある日
いつも通り、ゴタゴタ感半端ない恩塚家一階で遊んでいた時のこと。まゆこちゃんが私には聞こえないくらいのコソコソ声で、きょうこちゃんを私からの死角に連れて行った。
私は違和感を覚え、密かに二人の会話に耳をそばだてた。
まゆこちゃんは「これ、この前家族で旅行に行った時のおみやげ。きょうこちゃんにだけあげるね!」といって、様々な色が一本の中に入り混じった可愛い色鉛筆をあげていた。
私はすごく変な感じを受けた。ちょっと悲しくもなった。
なぜ、うちで遊んでいるときにこっそり、彼女にだけ何かをあげるのかな?
私はこの変な感じを一人で処理することができず、二階の寝室で洗濯物をたたむ母のところに駆け寄って、報告した。
母は、タオルをたたみながら言った。
「うん、お母さんは全部みてるから。わかってるよ。お母さんもおかしいと思う」
「お母さん分かるの?」
「お母さんは何でも見えてるの」
その時私は「お母さんって ・・マジすげぇ!」と、母が何でもお見通しの神様に見えた(今おもうと、一階で子供がわちゃわちゃしている会話など筒抜けだったに違いないw)
陽がよく射す暖かい午後だったように思う。小学生の私は思った。私のこの違和感は「人として正しい感覚」で、やっぱり何かおかしなことが起こっているんだな。母の一言でその確信を得て、ひどく安心したのを覚えている。
ある日 その2
バレエからの帰り道、まゆこちゃんが今度は私にだけ「あげたいものがあるからウチに来て!」と言った。前回色鉛筆をもらえなかった私は相当嬉しかった。
彼女がくれようとしたのは、キラキラのラメ入りのヘアゴムだった。当時の私にとっては、結んでもよし、腕につけてもよしのミラクルアイテムで、やったぁ!と思ったのを覚えている。
でも、彼女は一つ条件を提示した。
「あそこにあるドブに足を突っ込んで」
私たちの近所には用水路があって、いつもゆるゆると水が流れていた。遅い流れゆえに水は滞り、汚れていた。そこにバレエ帰りのタイツを履いた足を浸せ、というのだ。
汚れることなど何とも思っていなかった(超絶おばかな)私は、喜んで右足を突っ込んだ(ほんとアホ)そしてヘアゴムをゲットした。
喜び勇んで家に帰ると、たまたま門のところに父がいた。父はすぐに私の足に気がついた。
「なんで足、そんなに汚れているの」
「あのね、まゆこちゃんがね、ドブに足入れたらこのゴムくれるって言ったから!」
満面の笑みで報告していた私は、父の顔がみるみる怒りに満ちていくのを見た。
父は烈火のごとく怒鳴った 。
「・・・そんなもの・・・!!!!!
今すぐ返してこい!!!!!!!」
言葉がでない私に父はさらに続けた。
「おかしいと思わなかったのか!!
自分を貶めてまで物をもらって何が嬉しいか!!!!
そんなことをするんじゃない!!!」
もともと厳格な父で怒られることは多々あったが、この時の豹変ぶりは尋常ではなく、本当に本当に怖かった。
日が沈みかけた、夕方だった。私は泣きながらヘアゴムをまゆこちゃんに返しにいった。そして、まゆこちゃんを見てゴムを差し出し「いらない」と言った。
まゆこちゃんは不服そうな顔をしていた。
この経験は私の中に強烈に残った。父が言った「自分を貶めてまで何かを得るな」という言葉は私の胸の中に深くささり、心の中で育ち続けた。そして、大人になって、「人として何が正しく、何が正しくないか」という善悪の基準を作っていった。
決裂の日
こういった小さな出来事を何度か繰り返し、私ときょうこちゃんの中では「まゆこちゃんといると楽しくない」という同意が出来上がっていった。親友のきょうこちゃんも私と同じ感覚を持っていたということで、私はより一層、自分の感覚は間違っていないと確信した。
そしてある日、私ときょうこちゃんは「まゆこちゃんと絶交する」ことを決めた。
きょうこちゃんの家で遊んでいるときに、まゆこちゃんがそこに参加しようとした。インターホンがなったその時、私たちはインターホンごしに勇気を出していった。もうまゆこちゃんとは遊ばない、と。
彼女は無言だった。インターホン越しに息遣いだけが聞こえたような気がする。もしかしたら何か言い返したのかもしれないけど、私も緊張していたので覚えていない。彼女はその後、家に上がることもなく帰っていった。
私たちは高揚感に包まれていた。自分たちの正義を貫いた感覚。まゆこちゃんがどんな想いをしているか、気にならないといったら嘘だった。でも、私たちももう我慢ならないところまで来ていたので、二人でこの危機を乗り切った喜びの方が大きかった。そのあと嬉しくて、そこにあったチーズのお菓子を二人で貪り食った。
その日から、まゆこちゃんと遊ぶことは一切なくなった。そして暫くたったある日、まゆこちゃん一家は洋館から引っ越していった。両親が離婚したらしい。それ以来、噂を聞いたことも会ったこともない。
価値観の形成
と、ここまで幼き頃の記憶を辿ってストーリーを書いてきましたが、今日のテーマは価値観です。
私の中には明確な善悪の基準があります。言葉にするのは難しいけれど、それはピンと張りつめた目に見えない線のようなもので、そこを越えなければ大概のことは受け止められるが、そこの一線を越えてきた悪意ある攻撃には全力で戦いに行くことにしています。それは、相手をこらしめてやりたいという思いからではなく、私がどう生きていきたいのかという、根源的な問題なのです。
コーチングでは価値観をよく取り扱います。
価値観は、何も人生の大事件から創られるものばかりではないと思っています。私のように、まゆこちゃんとの小さな出来事を発端に、周囲の人々に支えられて、ゆっくりと形成されるものだったりもします。
自分が大切にしている価値観を知っておくことは「よりよく生きる」上で鍵になります。それを尊重した生活をすればするほど、人生の幸福度はあがっていきます。
価値観は鐘のようなもの
価値観に沿った生活をしているとき、そこには「いい響き」があります。打った鐘がきれいな和音を奏でるように、心地いい。
でも忘れてはいけないのは、その鐘が警鐘をならしているとき。
自分が大切にしている価値観を、何かが、誰かが、思い切り踏みにじってきた時。価値観の鐘は、ものすごい不協和音でぐぉんぐぉんと警鐘をならすはずです。
警鐘を無視しない
コーチングでクライアントさんとお話ししていてよく感じるのは、この警鐘をキャッチしているにも関わらず、無視してなかったものにしていたり、無理してその音を自分一人でおさめようとしていることです。
それをやり続けていくと、必ずどこかで歪みがでてしまう。
不協和音がなっているという事実は、本当はみんなわかってる。まずはそれを認めて、
もしその不協和音が鳴り止まぬのなら、どうすればきれいなハーモニーを取り戻すことができるのか、それを考えていくことはいつでも、そう、まさに今からでも、できると私は信じています。