私の不妊治療
私は「秘密のノート」というものを持っています。
何か心がモヤモヤしたとき、その気持ちをそのまま書くためのノートです。
もともと、放っておくとあれこれ脳内で考え続けてしまうところがあるので、思考をループさせないように一旦吐き出すためのノートとして始めました。本当に、包み隠さず、そのままの感情を書くので、昔のページを読み返すなんて、もう、あな恐ろしや。それくらい生々しい当時の自分の声が書き記されています。
ただ、やっぱり、怖いもの見たさでたまに読み返してみたりもします。 そうすると、何というか、
…う、、うわーぁぁぁぁっ……! てなります(←説明が雑)
字の大きさや書き方からあの日あの時のリアルな感情が思い起こされて、非常に切ないとともに、読み物として劇的に面白いです。
ちなみに、万が一この秘密のノートをあなたが見つけてしまった場合、速やかに私までお届けください。絶対に、見ては、ならない…
私の不妊治療
そして、今だからこそ読み返せる、不妊治療をしていた頃のページ。先ほど読みました。
不妊治療の捉え方は人それぞれ。そして結果も人それぞれ。私は3年半ほど治療に取り組み、子供を授かりましたが、それまでの過程がしんどかった為、もはやこの頃には仙人のように達観しており、妊娠が分かった時は、嬉しい!もあるけれど、一方で
「今世では、子供と生きるという人生になりましたかそうですか…」
と、今世とか来世とかまで思いをはせるところまでキテしまっていました。
以下、秘密のノートからの抜粋。
- 生理のたびに落ち込む。努力が実らなかった。夫も、自分の体も、生活も頑張ったのになぁ。神様はまだ微笑んでくれないのかなぁ。
- 子供がほしい、というよりかは、今やれることをきっちりやっておこうって感じ。
- 子供の写真ばかりをアップする友達、羨ましい、というよりも成功者という感じで、自分だけ波にのりきれずにイレギュラーになってしまったような気がする。
- とにかくどっと疲れる。自分の体をいたわってあげたい。今回もよく頑張ったねって。
- 子供できる気がしない。
- これ毎月やるのか…
- 誰かに先をこされたら嫌だな。友達と話が合わなくなる。羨ましくて距離をおきたくなるかも。
- そもそも私は本当に子供が欲しいのだろうか?周りに流されてそう思っているだけでは?
不妊治療の捉え方は人それぞれ。
私の場合は、前向きに「妊活してます!」だなんて到底言えないほど、人の幸福を妬んだり、自分の不遇を嘆いたりしていた日々。
暗いよ。暗すぎる。コーチも人間なんだよ。
正直、私にとって不妊治療の毎日は、自分の中にこんな人間性が眠っていたのかと嫌気がさす日々でした。
不妊治療ハイライト① 注射
ただでさえ注射が苦手で針を直視できない私が、自分で注射をしなくてはならなかったこと。もともとドラマのメス入れるシーン等も苦手で、血圧測定も血液の流れを自覚してしまう時点で嫌い(絶対心拍数がおかしくなっている)
注射はその中でも、見つめられないものAランクでした。
それは排卵を促進するための薬で、医師から指示があった日時に必ず打たなくてはなりません。
私はその時間オフィスにいたので、こそこそと注射器をもって会社のトイレにこもり、プルプル震える手でしろ目剥きながら打ちました。冷静に、丁寧に、狙いを定めて、とかでは全く打てないので、ちょっと助走つけてぶっさしました。もう完全にやばい人です。
会社のトイレで注射器片手に冷や汗かいてカタカタ震えていている人は、ジャンキーではなく私です。お間違いなきよう…。
不妊治療ハイライト② KPI=アクション量
子供を授かるということがゴールになった瞬間、夫婦の愛のある行為がゴールに向かうための「手段」となる。これが妊活の一番恐ろしい点といっても過言ではないのではないでしょうか。
今月は何日が排卵日だから、その前日とその日と、できればその翌日もお願いします。
と、先生から淡々と指示が飛ぶわけですが、先生、
人間にはバイオリズムやムードといふものがありまして、その通りに任務を遂行するのには強靭な精神力と協力体制が必要なのでありますがそういった点は考慮していただけないのでしょうか。
そうとう追い詰められたある日、私の脳裏をかすめた昔の思い出。
「達成したかったらもっとアポ数稼がないと!」
それは、営業リーダー時代の自分のセリフ…
そうか…
KPIは、アクション量…(死にたい目)
そう気がついてしまった私がどれだけゲンナリしたかは想像に難くないかと思います。
最終地点
こうしたハイライト(という名の苦境)を3年かけて通り抜けたのち、最終的に私が行き着いたのは、冒頭にも少し触れたように、「仙人の視点」でした。
要は、やるべきことを淡々とやって、それで授かればそれはそれ、授からなければ子供のいない人生をエンジョイするのみだという達観です。この時実際に、子供のいない人生設計も真剣に考えていましたし、それはそれで結構楽しいんじゃないか、と感じていました。仙人は思いました。仮に今世で子供がいない人生になっても、来世では大家族になってたりするのかもしれないですね、と。
仙人視点にたって不妊治療を見つめるようになってから、明らかに気持ちが軽くなったのを覚えています。日々の時間の使い方も変わり、結果がでないことにドンヨリし続けるよりも、治療はルーティンとして続けつつ、今自分がやりたいことをやろうと思うようになりました。(結局妊娠が判明する直前はやりたい放題で、1ヶ月休みを取って日本に帰国し、京都と東京を毎週行き来して、ヨガインストラクター資格とコーチングの学び直しを一度にやりきるためアクロバティックな生活をしていました)
そしてチェコに戻って2ヶ月後、妊娠しました。何が功を奏したのか正直わかりません。ただ一つ、私が切実に今思うことは、もし私がもっと早くにこの「仙人視点」まで行き着くことができていたら、どれだけあの時気持ちが楽だっただろう、どれだけあの暗黒時代を早くに切り抜けることができたろう、ということ。心の持ちようが私に与えた影響は、想像よりも大きかったのではないかということです。
視点を選ぶ力
事実をどう捉えるかは本来私たちが好きなように選べるはずなのに、どうしたものか凝り固まった視点からしか物事が見られなくなることがあります。私の場合は、<不妊治療とは、辛くしんどいものである>という視点に、長い間ずっぽりハマっていたいたように思います。
不妊治療以外にも類似した経験が多々あります。
例えば、
- 親孝行とは出来るだけ一緒に時間を過ごすべきものである
- 仕事とはやりがいがあるべきものである
- 転職とは勇気が必要なものである
- 国際結婚には苦労がつきものであるに違いない…など。
いやはや、全くその通り。決してそれは嘘ではないと思います。
が、
大事なことは、
それは私が意図的に選んだ視点(=物事の見方)なのか、ということです。
親孝行は時間が成すものではないし、別に意識的にしなくてもいいものなのかもしれない。仕事はお金を稼ぐ手段であってやりがいは別のテーマに見出してもいいかもしれない。転職はもっと超ポップにやれちゃうものかもしれない。
そうやって同じテーマを捉え直すこともできるし、この視点もまた真であるはずです。
だけど、それが真剣なテーマであればあるほど、特定の視点にスタックして、一人ではなかなか抜け出せなくなる。
今回私が経験したように、時間の経過とともに自然と違う視点で捉えられるようになることもあるけれど、もし、今自分がどこかの視点にハマっていることを自覚し、自らの力で意図的に他の視点へとジャンプできるようになれたら?
少し、肩の力が抜けていくような気がしませんか。
今回私が、この3年半を経験したことの意義はこれなんだと今は思っています。
そして、自分がコーチという仕事を選んだ上でこうした経験をしたことも、何か必然であるように感じています。
(おまけ)林檎の木
チェコの家庭はChata(ハタ)と呼ばれる別荘を持っている場合が多々あります。社会主義時代、海外旅行に出られなかったために、国内にもう一つ休暇のための場所を設けたから、と言われています。我が家のハタの庭には、林檎の木がざっと20本くらい生えていて、シーズン中は「あのう私は林檎農家に嫁いだのでしょうか」と真剣に夫に問うたほど農作業に追われます。
そのため、私にとって林檎は、庭作業の象徴なようなもので複雑な想いがあるのですが(オーガニックでめちゃ美味しいけど)、私が林檎の木から強く感銘を受けたことが一つあります。
それは例年にない寒波が春に襲ってきた年のこと。
春に蕾をつけた後に霜が下りてしまったため、蕾が全滅し、その夏は林檎がひとつも実りませんでした。
今年は収穫に追われなくていいんだと思って、私はホッとしたところもあったのですが、林檎が一つも実らない庭は少し寂しいものがありました。
ですが、その翌年、私は度肝を抜かれました。例年の倍とも言えるほどの林檎がどっさり実ったのです。まるで、昨年自分が子孫を残せなかったことを知っているかのような、エネルギーが爆発しているとしか言えないような数。
そして、そのさらに翌年の春にまた寒波が来ることを見越したかのように、その年の実は収穫後も長い間鮮度を保ち、翌年までいい状態のまま保存できました。
それを知った時、林檎の木は多分全部わかってるんだな、と思わざるを得なかったです。自然の世界は、こうしてちゃんと、バランスが取れていくんだなと。
自分の人生が、この林檎の木でいうどのサイクルにいるのかはわからないけれど、あながち仙人が感じたことも間違っていないのかもしれないな、と思ったりしています。
今日も最後まで、ありがとうございました。